1年の最終月となりました。忙しい中にも充実感溢れ、新たな力が漲る月です。
さて、「12月」と聞いて、どのような「言葉」を連想しますか?「慌ただしい」「クリスマス」「ポインセチア」「大掃除」・・。等でしょうか?
では、年末と言えば?・・・「第九」です。
年末にかけて、今年も各地でたくさんの「第九」の公演があると思います。「第九」を聴いていると、行く年に想いを馳せ、来る年に希望の光を感じ、神聖で荘厳な気持ちになります。演奏が終わった瞬間、会場はシーンと静まり、しばし無音になり誰も席を立ちません。
「第九」の正式名称は「交響曲第9番ニ短調作品125」で、有名な合唱の部分は、一番最後の第4楽章です。
1824年の初演時には、ベートーヴェンは既に重度の難聴であり、演奏終了と共に湧き起こった聴衆の大歓声にも気付かなかったと言われています。ソロ歌手の1人がベートーヴェンの手を取って振り向かせ、ベートーヴェンはそこでようやく熱狂する聴衆を目にしたという逸話が残っています。
どうして日本では、年末「第九」が定番になったのでしょうか?ずっと疑問でした。
年末の「第九」が定番になった理由の1つは、第二次世界大戦後の混乱期に、NHK交響楽団の前身である日本交響楽団の第九公演が、聴衆の心に共鳴し大変人気を博したそうです。そこから毎年、「第九」の演奏が各地で盛んになっていき、興行面で定着していったというのが1つ説です。
もう一つは、第二次世界大戦の学徒出陣の壮行会で、演奏されたことに由来するという説があります。昭和18(1943)年12月、卒業を繰り上げて戦地へ赴く学徒たちの壮行会で演奏されたのが、第九の「歓喜の歌」であったそうです。そして、戦後、生還した学生たちが、亡くなった仲間の追悼のため、12月に再び「第九」を演奏したと言われています。この2つが、どうも年末に定着していった説のようです。。
これらの由来を知ると、これからはもっと深く「第九」を聴く事ができます。しかし、
「第九」は、年末だけではなく、「復活と平和への祈り」を込め、世界各地で演奏されています。
平成23(2011)年3月11日、宮城県沖を震源とする東日本大震災後の復興チャリティーコンサートで多く演奏された曲の1つが「第九」でした。
1989年のベルリンの壁崩壊直後の年末には、東西ドイツおよびアメリカ・イギリス・フランス・ソ連(当時)の混成メンバーによるオーケストラが、第4楽章の合唱冒頭の「フロイデ(喜びよ)」を「フライハイト(自由よ)」に変更して演奏しました。翌年の東西ドイツ再統一前夜にも、第九が祝典曲として演奏されています。
平和の祭典であるオリンピックでも「第九」が演奏されています。1998年の長野オリンピックの開会式で、国連本部を含む世界の5大陸・7か所を繋いだ第九演奏が行われ、平和への祈りが世界中に放送されました。
♪フロイデ! シェーネルゲッテルフンケン……♪
音の響きだけは何となく聞き覚えがある、「第九」の第4楽章の有名な歌詞ですが、実際のところ、どんな意味のことを歌っているのか全く分かりません。詳しい方もいっらっしゃるとは思いますが、私と同じような方も多いはず!
「第九」のキーポイントとなっている歌詞の前半部分の日本語訳(完全な対訳ではなく、文脈を重視した意訳としています)ですが、
おお友よ! このような音楽ではない
もっと心地よく、もっと喜びに満ちあふれた歌を歌おう
喜びよ! 神々の美しい霊感よ、天上の楽園エーリュシオンの乙女よ!
我々は炎の陶酔をもって、その天の聖域に足を踏み入れる
あなたの魔力(霊力)によって、時代に引き裂かれたものも再び結ばれ
あなたの穏やかで柔らかな翼のもとに全ての人々が兄弟となる
偉大な成功を成し遂げた者よ
一人の友の友となり
愛らしき妻を得た者よ
ともに歓喜の声を上げよ
そう、この地上にただ一人であろうとも
己を大切にすべきと信じられる者も声を合わせよ
しかしそれができぬ者は
涙ながらにこの輪より立ち去るがよい
出典:歓喜の歌 ウイキペディア
大いなる人間讃歌と平和への切なる祈りの歌で、「第九」は次の年の幸福を祈る、年末にふさわしい曲でありました。
「第九」の合唱団は全国各地にあります。誰でも参加可能として毎年メンバーを募集しています。来年度は「第九」の合唱で年末を締めくくりませんか?
2024(令和6)年、年末(366日)に向かって走り続けている皆様、クリスマスにはご自分へのご褒美としてステキなプレゼントをしましょう。
お疲れ生です!
LOVE
植田亜津子