春爛漫、風景が鮮やかに彩られ、優しい風が吹き抜けていきます。
 新年度が始まりましたね。4月1日は、政府機関や企業などで多くの制度の変更・新設・発足などが行われます。テレビも新しい番組が始まるなど、社会全体の空気が「昨年度」からガラリと変わっていく日です。
 今日から新社会人としてスタートなさった皆様、ご入社・ご入職おめでとうございます。先輩方は、皆親切ですから、安心して指導を受けてください。仕事ができるようになると、職場が楽しくなります。応援しています。

 さて、インストラクターの皆様は、ご自分の入社(入職)式の時のことを覚えていらっしゃいますか?数十年前ではありますが、私にもフレッシュな新人時代がありました。入社式で社長から訓示をいただきましたが、正直申し上げ、内容は全く覚えておりません。ただ、「初心を忘れずに・・・」といったお言葉があったことは、記憶にあります。

 『初心』とは、私たちが新たなことに取り組む時に持つ熱意や気持ちのことを指します。多くの日本人は、初めてのことに対して素直な気持ちで取り組むことを大切にし、その姿勢が成功に繋がると考えられています。また、『初心』は、日本人の美意識や伝統文化にも通じて、より高度のものを追求し続けるための心構えでもあります。『初心』の根底に流れる謙虚な姿勢は「いいなぁ」と思います。

 しかし、『初心』という言葉の本来の意味は、上記のような考え方と少し違うところにあるようです。新しいことを始める時は、物事を早く覚えよう、失敗しないでやろうと、いつもより強い熱意や思いをもって取り組みますが、実際には、期待半分不安半分でもあり、初めから心が定まっているわけではありません。

 『初心』という言葉は、室町期の「能」の大成者、世阿弥が著した「花伝書」(風姿花伝)の中にあります。「花伝書」は世阿弥の父親であり、「能」の天才であった観阿弥が語る「能」の秘伝を世阿弥がまとめたものだと言われ、その中に『初心』という言葉が出できます。
 ある人が「能を極めよう」と決心して、何年も何年も修行を積みます。ある時、自分で納得のいく「能」を舞うことが出来るようになりました。「これで自分もそこそこ一人前になった」と、その道の面白さが分かりかけてきた瞬間、これこそが、『初心』と言われています。つまり、「花伝書」でいう、『初心』とは、ある程度その道に踏み込んで「初めて“よし”」と、自分が感じる心の状態であると言われています。

 宮本武蔵の「五輪書」にも、「千日の鍛、万日の錬」(せんじつのたん、まんじつのれん)という言葉が出て来ます。つまり物事は3年行って初めてその入り口に辿り着き、
30年経って初めてその奥義に達するという意味です。「百年に一人の天才」と言われた、将棋の升田幸三氏が名人位に就いた時、「たどり来て、未だ山麓」と言われたそうです。 つまり『初心』とは、どのような道においても、未だ未だ奥を極めねばならないという探究心、とも言われています。
 私は、子供の頃から茶道を習っていますが、お稽古を途中で休んだり、また始めたりを繰り返しております。数十年続けていても一向に「鍛」の域を出ません。

 好き嫌いの感情を持つことは悪いことではありませんが、何事もその面白みを知る(感じる)までには時間がかかります。例えば、“面白くない”からと簡単に仕事を辞めてしまったり、「自分探しをしたい」と、転職を繰り返していては『初心』との出会いは難しいかもしれません。また、先輩方も部下指導の場で、結果を急いだり、期待を高くし過ぎてはいませんか?「石の上にも3年」昭和チックでしょうか?!

 新しい仕事経験をする時は、そこで求められる知識・技術・意識等を学びます。このように、仕事(経験)の初まりは、必然的な学びからスタートしますが、例えば、誰かの手伝い等、ある種の「はずみ」「出会い」「偶然」から、初まる経験もあります。そこで、その仕事の面白さ(やりがい)を感じとれたら、それもあなたの『初心』ということです。
 
 世界のヒーロー大谷翔平選手が記者インタビューの席で、「伸びしろがあることが僕の才能」、「可能性に挑戦できるのに、そこに努力をするのを自ら放棄してはいけない」と言っていました。大谷選手の言葉こそ、「初心忘るべからず」でしょうか?! とかく、楽な方へ流れがちになる自分自身に「渇!」。
 新人も、旧人も、X・Y・Z世代も、よき『初心』との出会いを!
LOVE

2025年4月1日

植田亜津子