レター No.82「温故知新」(2020年7月1日)

 天の川が美しい季節となりました。如何お過ごしですか?
 コロナ禍で、今まであった色々なサービスのあり方が「新しい行動様式」に変わってきています。例えば、きれいに盛り付けられた大皿料理の数々、各自好きなお料理を備え付けの取り箸やトングで自由に小皿に取り分けて食す、ビュッフェスタイルは、たとえコロナ問題が解決しても、かつてと同じスタイルには戻らないでしょう。

 さて、日本には、昔から“「わたし専用」のお箸やお茶碗をもつ食文化”があります。私達にとっては昔からの慣習ですが、1人ひとりが“わたし専用”の食器で食事をする日本の文化は、世界的にみても珍しいです。例えば、中国では、お料理は大皿に盛られ、銘々皿に取り分け食事をします。欧米でも、基本的に食器は共用です。

 “わたし専用”の食器をもつ日本の歴史は深く、平城京跡では人名が墨書きされた杯や皿が出土しています。それらは“わたし専用”の食器の歴史をたどる貴重な資料となっています。
 日本人が“わたし専用”の食器を日常的に使うようになったのには、様々説がありますが、一つは江戸時代の「箱膳」文化の影響と言われています。昔は居間にテーブルがありませんでしたので、食事の時は「箱膳」を使います。食事が終われば「箱膳」の中に“わたし専用”の食器がしまわれ、食器は、常に丁寧に取り扱われ大切にされていました。
 食器の大きさは、手に合うサイズ、しかも箱膳に入るサイズに作られました。また、食器を手に持って食事をする作法は、日本独特のものですが、箱膳が低いため、こぼさず美しく食すためと、尊い存在であるお米を高く持ち上げ、敬意を払うという意味も込められていると言われています。
 いつ頃まで「箱膳」が使われていたかというと、居間にテーブル(ちゃぶ台)が入る迄です。食事時は、箱膳を1人ひとり間隔を置いて並べ、正座をして静かに頂きます。テレビや映画での食事のシーンをみても、お殿様も平民も、大人も子供も行儀がよく美しいです。
 食事メニューも手抜きが出来ない一汁一菜(二菜)、無駄がなくヘルシーです。皆で一つの鍋を突っつく鍋料理等は、テーブル(ちゃぶ台)で食事をするようになってからですね。割り箸等も、日本独自のもので、使い終わったら捨てる。正に“わたし専用”のお箸です。

 このように、日本には、昔から人と食器の間に特別なつながりが存在し、今でも地域によっては、結婚で家を離れる時や、お葬式の折など、その人が愛用していたお茶碗を割る風習があります。次の世界に旅立つためのエールなのです。
 改めて日本の食文化を見つめ直すと、普段遣いの食器に込められた“わたし専用”のお箸やお茶碗、お椀等に愛おしさが湧いてきます。
 これから、新たに“わたし専用”の食器を選ぶ時は、永くお世話になることに拘りを持ち、お好みの色、産地、手になじむ形や、さわり心地など、心地よさを感じるものにしましょう。それだけでも、毎日の食事時間が優雅になります。
 このような素晴らしい日本の伝統・文化・慣習が、効率を求め過ぎている現代、食事のマナーを忘れてしまっている人が多くなってきていることが残念です。
 特にコロナ禍は、「温故知新」の精神で、先人の教えを大切に、生きる知恵を学ぶ必要があります。技術や環境はどんどん新しくなっていくものですが、これまでに蓄積してきた経験や知識を疎かにせず、しっかりと日常生活に活かしていきたいものです。

 話は変わりますが、どのお宅もゲストへコーヒーやお茶をお出しする時は、お揃いの食器を使います。私は最近、親しいゲストが複数見えた時には、お揃いの食器ではなく、その人の雰囲気に合わせ、1人ひとり違うコーヒーカップや湯飲み茶碗を使うようにしています。勿論お出しする時は言葉を添えてお出ししますが、皆さんとても喜ばれます。例え一時であっても“わたし専用”は、ひと味違う心地よさがあるのですね。

 さて、7月7日は七夕です。天の川を隔てて暮らす、彦星様と織姫様が1年に一度の再会を果たすロマンティックな日です。
 七夕には、昔から様々な習わしがあり、短冊に願い事を書いて、笹飾りにして設えます。7日は“雨が降らないように”と、子供の頃は「てるてる坊主」を作ったものです。浴衣を着て、夕食はお素麺を頂くのが定番。細く長い麺を糸、或いは、天の川に見立てて、彦星様と織姫様が無事に会えるよう願いながら頂きます。クリスマスと似たようなワクワク感がある特別な日です。彦星様と織姫様の1年に一度のデートなのに、今年は「3密」禁止、可愛そう!

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植田亜津子

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